M&Aトピックス
M&Aで従業員の同意は必要?ストラクチャー別に解説する人事労務の注意点(FAQ編)
前回『M&Aで従業員の同意は必要?ストラクチャー別に解説する人事労務の注意点』のコラムを掲載いたしました。今回は、「M&Aにおける人事労務対応」についてご理解をより深めていただくために井上先生に質問のご回答をいただいております。
Q2:M&A後に人事制度や給与体系を変更することはできますか。
Q3:合併によって消滅会社の「未払残業代」などの労務債務を引き継いでしまった場合、存続会社はどう対応すべきですか。
Q4:会社分割において、どの従業員が「主として従事する従業員(主従事労働者)」にあたるかは、会社側が自由に決めてよいのでしょうか。
Q5 :事業譲渡において、買収側が「ぜひ来てほしい」と望む従業員から移籍の承諾(同意)が得られなかった場合、どうなりますか。
Q6:M&Aに伴う優秀な人材(キーパーソン)の流出を防ぐために、具体的にどのような「リテンション(引き留め)施策」が有効ですか。
Q7:M&Aの検討を開始する初期段階において、人事労務面でまず着手すべきことは何でしょうか。
Q1: 株式譲渡であれば、従業員に対する説明や事前の通知は一切不要なのでしょうか。
A:法的な観点だけで言えば、株式譲渡は対象会社の株主が交代するだけですので、従業員の労働条件や雇用主(法人)に変更はなく、従業員の同意や法的な事前通知手続は不要です。 もっとも、従業員の同意が不要であることと、従業員への説明が不要であることは別問題です。M&Aの情報が従業員に十分伝わらないまま進んでしまうと、従業員は「雇用は維持されるのか」「待遇が悪化するのではないか」と強い不安を抱きます。これが原因で、優秀なキーパーソンの離職や労働組合とのトラブルに発展することがあります。
そのため、法的な義務はなくとも、インサイダー規制や守秘義務に配慮しつつ、「いつ、誰に、どのような内容(雇用の維持や今後のビジョンなど)を説明するか」という公表のタイミングや説明内容、説明者を事前に検討し、従業員の理解を得ながら進めることが重要です。
Q2:M&A後に人事制度や給与体系を変更することはできますか。
A:M&A後に人事制度や給与体系を変更すること自体は可能です。ただし、その変更が従業員にとって不利益な内容を含む場合には注意が必要です。
例えば、賃金、退職金、福利厚生、評価制度などを変更することにより、従業員の労働条件が実質的に悪化する場合には、原則として従業員の同意が必要となります。また、就業規則の変更によって労働条件を変更する場合には、その変更に合理性があるかどうかが問題となります。
そのため、M&A後に制度統合を行う場合には、直ちに一律の制度へ変更するのではなく、経過措置や段階的な移行期間を設けるなど、従業員への影響に配慮した設計が重要です。
Q3:合併によって消滅会社の「未払残業代」などの労務債務を引き継いでしまった場合、存続会社はどう対応すべきですか。
A:合併は「包括承継」であるため、消滅会社が抱えていた未払残業代や未消化の有給休暇、現在進行中の労働紛争などの労務債務は、すべて存続会社がそのまま引き継ぐことになります。 合併後に想定外の労務債務が発覚すると、財務面だけでなく、従業員対応やレピュテーションにも影響を及ぼす可能性があります。合併では、株式譲渡のように売主との契約に基づいて事後的に補償を求めることが通常はできないため、合併前のデューデリジェンスにおいて、労働時間管理、残業代の支払状況、就業規則、雇用契約書、労使協定、労働紛争の有無などを確認しておくことが重要です。
Q4:会社分割において、どの従業員が「主として従事する従業員(主従事労働者)」にあたるかは、会社側が自由に決めてよいのでしょうか。
A:会社側が恣意的に決めることはできません。主従事労働者かどうかの判定は、労働契約承継法に基づき、客観的な事実(従事する時間、業務の内容、役割など)に基づいて厳密に行う必要があります。
例えば、分割対象となる事業に100%従事している従業員は明らかに主従事者ですが、本社部門(総務、経理、人事など)や、複数事業を兼務している従業員については判断が難しくなります。
もし判定を誤り、本来引き継ぐべき主従事者を対象外としたり、逆に主従事者でない者を承継させようとしたりした場合、従業員から「異議申出」がなされ、結果として予定していた人員配置が実現できなくなるリスクがあります。そのため、事前の業務実態調査と本人との協議を踏まえた慎重な判断が必要です。
Q5 : 事業譲渡において、買収側が「ぜひ来てほしい」と望む従業員から移籍の承諾(同意)が得られなかった場合、どうなりますか。
A:従業員が移籍を拒否した場合、その従業員の労働契約は買主(譲受会社)に移転せず、売主(譲渡会社)にそのまま残ることになります。事業譲渡を理由に、売主がその従業員を一方的に解雇することは原則としてできません。
買主側としては、事業運営に不可欠なキーパーソンが移籍してくれない場合、事業を買収する意味自体が薄れてしまいます。そのため、事業譲渡では、キーパーソンや一定割合以上の従業員から承諾を得ることをクロージングの前提条件とすることもあります。
Q6:M&Aに伴う優秀な人材(キーパーソン)の流出を防ぐために、具体的にどのような「リテンション(引き留め)施策」が有効ですか。
A:キーパーソンの退職を防ぐためには、不安の解消(精神的アプローチ)と、待遇・インセンティブ(金銭的アプローチ)の両面からの対策が有効です。具体的には以下のような方策が考えられます。
早期の個別面談とキャリア提示:
M&A公表後、速やかにキーパーソンと個別面談を行い、新体制における期待される役割や、キャリアパスを明確に伝えて安心感を与えます。
リテンションボーナス(引き留め金)の支給:
M&A後、一定期間(例:1〜2年間)継続して勤務することを条件に、特別一時金を支給する契約を結びます。
ロックアップ期間の設定:
売主側の経営陣や役員に対しては、一定期間は役員や顧問として残り、業務の引き継ぎを行うことを契約上義務付けます。
Q7:M&Aの検討を開始する初期段階において、人事労務面でまず着手すべきことは何でしょうか。
A:まずは「自社が採用しようとしているM&Aストラクチャーにおいて、どのような労務手続が必要になるか」のスケジュール感と、対象会社の「大まかな労務リスクの有無」を把握することです。
具体的には、以下のステップを初期段階から意識して進める必要があります。
ストラクチャーの選定とスケジュールへの反映:
会社分割や事業譲渡の場合、法的に義務付けられた手続(従業員への説明、通知、異議申出期間など)だけで数ヶ月を要することもあるため、全体のディールスケジュールにあらかじめこれらの手続に要する期間を組み込んでおきます。
初期的な労務情報の収集(プレDD):
対象会社の従業員数、平均給与、退職金制度の有無、労働組合の有無など、基本情報を早期に把握します。
人事労務の手続は、契約締結(SPA)後からクロージングまでの短い期間に集中するため、初期段階からM&Aアドバイザーや社会保険労務士、弁護士などの専門家を交えて準備を進めることが成功の鍵となります。
日比谷中田法律事務所
弁護士
井上俊介
